お知らせ / 所長の日記

2009.07.19
結成40周年記念の山下洋輔トリオ復活祭
最後の機会かもしれないとも思い、期待と多少の不安を持ちつつ7月19日「結成40周年記念山下洋輔トリオ復活祭」に行った。日比谷野外音楽堂は満員、立見席の2列目で短い休憩を挟み約2時間のコンサート。演奏は歴代のトリオを新しい方から遡っていく構成で行われた。これはヒットだった。森山威男(ドラマー)が後半のほうがいい。(ちなみに自分が昔、後先省みずドラムをやりたいと思ったのは森山さんのドラムにあまりにも感動したためで、直接教えていただいたりもした。)トリオの後期ドラマーで今回のコンサートでは前半のドラマー小山彰太もすばらしいが、森山さんは別格、比べようがない。演奏は後半に行くほど深くなり、山下氏のいうプロト・ジャズの核に向けてどんどん深く降りていく感じだった。森山さんが登場すると大きな、しかも2重の鮮やかな虹がかかり、奇跡的な自然との共鳴を感じさせてくれる。夜になり結成時のサックス中村誠一が「木喰」のテーマを吹き鳴らすと、会場全体に大きな音楽が満ち溢れた。すばらしかった。森山さんはこのコアの場所にいて深く根をはり育ち、山下洋輔は旅に出て旅芸人になったのかもしれない。(写真は1969年の山下トリオ)11月には森山さんと板橋文夫のライヴを横浜に聞きに行こうと決めた。
2009.07.08
改めて自己紹介
1959年5月5日生まれ50歳。早稲田大学ロシア文学科でドストエーフスキイを専攻、大学院修士を卒業後、青土社で「現代思想」の編集者をしていたがフリージャズのドラマーになるため2年で退社。ビル清掃で生計を立てつつ、大ファンだった森山威男さんに師事しながらドラムを続けた。33歳のときに友人の紹介でブレークスルーテクノロジーコースに参加したことが大きな転機になり、父の建築設計事務所に入り、そこから建築の勉強をして免許もとり、今、所長として、そして今年からは埼玉設計監理協会の理事としても活動している。特に「甦りの建築」研究会は、まず提案して、立上げ当初から参加して、現在は副幹事。また34歳でまだフリーターでいたときに結婚して、高校1年の健太と小学校6年の光の2人の息子と清美という奥さんと一緒にさいたま市大宮区に住んでいる。やりたいことやるべきことがいっぱいで、人生は可能性に満ちていると感じている、幸せな男。最近またドラムの演奏もしようと考えている。